熊谷守一
(くまがい もりかず、1880年4月2日 - 1977年8月1日)
岐阜県中津川市付知町(旧:恵那郡付知)出身の画家。孤高の画家であり「画壇の仙人」と称される程であったが、二科展との繋がりはあった。
人物
写実画から出発し、表現主義的な画風を挟み、やがて洋画の世界で『熊谷様式』ともいわれる独特な様式-極端なまでに単純化された形、それらを囲む輪郭線、平面的な画面の構成をもった抽象度の高い具象画スタイル-を確立した。轢死体を目にしたことをきっかけに、人の死や重い題材も扱った。生活苦の中で5人の子をもうけたが、赤貧から3人の子を失った。4歳で死んだ息子・陽(よう)の死に顔を描いたもの(「陽が死んだ日」大原美術館蔵)、戦後すぐに20歳を過ぎて結核を患って死んだ長女・萬(まん)が自宅の布団の上で息絶えた姿を荒々しい筆遣いで描いたもの、野辺の送りの帰りを描いた作品(「ヤキバノカエリ」岐阜県美術館蔵)、仏壇に当時は高価であったタマゴをお供えした様子(「仏前」個人蔵)なども絵に残している。子煩悩で大変に子供をかわいがった守一の痛ましい心情が胸を打つ作品である。
自然や裸婦、身近な小動物や花など生命のあるものを描いた画家で、洋画だけでなく日本画も好んで描き、書・墨絵も多数残した。墨の濃淡を楽しみながら自由に描かれた墨絵、生命あるものを絵でなく「書」で表現したとも評された書、また、頼まれれば皿に絵付けなどもした。摺師との仕事を楽しんで制作した木版画も残されている。
自らチェロやヴァイオリンや三味線を奏でる音楽愛好家。作曲家の信時潔とは30代からの友人で、後に信時の娘と守一の息子が結婚するほど親しい間柄だった。一頃は絵を描くことをせず信時の資料を元に音の周波数の計算に熱中していた。晩年は自宅からほとんど出ることがなく、夜はアトリエで数時間絵を描き、昼間はもっぱら自宅の庭で過ごした。守一にとっての庭は小宇宙であり、日々、地に寝転がり空をみつめ、その中で見える動植物の形態や生態に関心をもった。晩年描かれた多くの油絵作品のモチーフは、ほぼすべてが熊谷邸の庭にあったものである。
熊谷様式とされる下絵デッサン(線)が塗り残された作品で、山々や海・風景が描かれたものについては、若い頃のスケッチブックを広げて油絵にしていた。同じ下絵で描かれた作品も多く、構図の違いや色使いを変えたりと守一自身が楽しみながら描かれたであろう作品が展開される。線と面で区切られた小さな4号サイズの板には、線の繊細さ・デザイン性・抜群の色彩感覚によって出来上がった緻密な計算の上に成り立つ、類を見ない世界が広がる。自然界のあらゆる一瞬を捕らえる目は見事の一言に尽きる。作品を見るものに【昆虫の目】を持たせてくれる。
愛知の資産家・木村定三が熊谷守一の作品に惚れ、買取の個展を開くなどし、熊谷守一の名は晩年にかけて広く日本の画壇に名を知られるようになった。木村定三が集めた熊谷のコレクションは100点を越え、その全てが現在は愛知県美術館に所蔵されている。 晩年「これ以上人が来てくれては困る」と言い、文化勲章の内示を辞退したことでも知られた。
略歴
1880年 |
4月2日地主で機械紡績を営む事業家の家に生まれ、子供時代から絵を好んだ。 |
1897年 |
慶應義塾普通科に一学期のみ通学。 |
1898年 |
共立美術学館入学。 |
1899年 |
召集、徴兵検査で乙種合格(歯が多数抜けていたため甲種では不合格。日露戦争では徴兵されなかった)。 |
1900年 |
東京美術学校入学。山梨県や東北地方を巡るスケッチ旅行、青木繁との交遊など。 |
1905年 |
樺太調査隊に参加しスケッチを行う。 |
1909年 |
第三回文展に「蝋燭」を出展。 |
1913年頃 |
実家へ戻り日雇い労働の職につく。この時期作品は「馬」他3点のみ。 |
1915年 |
再び上京。第2回二科展に「女」出展。後に軍の圧力で二科展が解散されるまで毎年作品を出品。 |
1922年 |
大江秀子と結婚。 |
1929年 |
二科技塾開設に際し参加。後進の指導に当たった。 |
1932年 |
後々、池袋モンパルナスと称される地域(現在の豊島区椎名町~千早)の近くに家を建て、残りの生涯をこの家で家族、猫、鳥たちと過ごす。(1985年に《熊谷守一美術館》として立て替えられ、次女・熊谷榧が館長を務める) |
1947年 |
二紀会創立に参加。 |
1951年 |
二紀会退会。無所属作家となる。 |
1956年 |
脳卒中。以降写生旅行を断念。 |
1968年 |
文化勲章辞退。 |
1972年 |
勲三等叙勲辞退。 |
1976年 |
「アゲ羽蝶」(絶筆)。 |
1977年 |
8月1日、肺炎で死去。享年97。 |
代表作
- 陽が死んだ日 1927 大原美術館
- 裸婦 1936 頃 東京藝術大学大学美術館
- ヤキバノカエリ 1947 岐阜県美術館
- 漁村 1954 愛知県美術館
- 化粧 1956 京都国立近代美術館
- 泉 1969 熊谷守一記念館
- 白猫 1959 豊島区立熊谷守一美術館
著作
- 随筆集『へたも絵のうち』 1971年(日本経済新聞の「私の履歴書」に掲載されたもの)

